メッセージ

学校法人菊武学園 理事長 高木 弘恵

時代に応えた感動ある教育と愛情教育

実践教育の大切さ

地域との関わり

学園の取り組みとしてもう一つ、まず地域に根ざした、開けた教育活動を展開していきたいと考えています。地域・保護者・企業の方などと積極的に連携を組み、地域性を活かした特色ある教育が必要と感じています。高齢者や子育て中の世代や子どもたちと学生や教職員が、イベントや祭りを通じてふれあい、地域団結力につながる街づくりに積極的に貢献したいと考えています。
毎年実施してい「菊武夏まつり」を代表に、菊武杯愛知県中学生将棋選手権大会、各学校が地域と連携した美化運動などがあります。

あきらめずチャレンジ精神を育てる教育

学生・生徒が、たくましく社会で活躍できる実践的で専門性の高い体験授業を積極的に取り入れていきたいと思います。社会不況を乗り越える精神力や我慢する心、チャレンジ精神をしっかり身に付けてほしいのです。特に今の若者は、頑張ることから逃げてしまい、すぐにあきらめてしまう学生が多いと感じています。目標を全うでき、達成感から喜びを感じる人材を育てるためには、ふだんの教育に加え、部活動や体験授業が大変重要だと考えています。
これまで宮城県石巻市などで取り組んだ東北の復興支援活動を、今後も継続し、本学ができるボランティア活動を果たしていきたいと考えています。

菊武チャレンジ計画・改革プランの実施

創設者の言葉 前学園長 高木 武彦

菊武学園の歩み

菊武学園の創設者、高木武彦氏(前学園長、元理事長)は2015年2月15日、
享年91歳で永眠いたしました。
亡き母の菊子刀自の遺訓「女子教育に専念せよ」を受け継ぎ、
66年にわたって実践教育一筋に歩んでこられました。
ここに、高木氏が晩年に語られた教育への思いを記し、学園発展のメッセージといたします。

母は昭和18年7月25日、私が18歳の時、病気のため42歳で亡くなりました。 姉1人、私1人を残し、母は心配していたようです。私は戦争を挟んで5年後の昭和23年に、菊武タイピスト養成所を立ち上げました。 菊武学園の名前の由来は母「菊子」の「菊」と、私「武彦」の「武」を取ったものです。 花の名前とよく間違われます。私は今でも亡き母のかばん持ちのつもりでいます。
私学教育に必要なことは、先生や事務職員がいかに「学生・生徒・園児達に愛情を与える」か、だと思います。 10年ほど前、本学のある用務員さんが学生のボタンを直してあげているのを見ました。 私は大変うれしく、8人の用務員さんすべてに贈り物を渡し、感謝の気持ちを表しました。 用務員さんが一丸となって愛を注ぐ姿に、ひそかに喜びを感じたものです。

前学園長 高木武彦写真

昭和37年に高等学校を新設し、初代校長に古川氏を迎え10年間、頑張っていただきました。 亡くなる前に電話があり、危篤と聞き駆けつけました。「あと高校をよろしく頼む」が最後の言葉でした。 高校新設の年、学園は青年会議所の井元啓太氏の意見を聞き、従来の理事・監事の総入れ替えを行い、 名古屋財界第一線のそうそうたる人達を迎え入れました。 第1回目の入学式には、新しい理事全員が出席し、540名の生徒を迎え盛況だったことが思い出されます。
61歳の時、藍綬褒章を受章し、71歳の時、勲四等旭日小綬章を受章しました。 教育事業に携わる本来の使命は、本学園が「いい学校だな」と思われることにあると言えます。 学生・生徒の質がどうとかいう問題ではありません。その鍵を握っているのは、母の言いたかった「愛」です。
荻田嘉寿枝という和文タイピストの先生がみえました。20年以上勤められたベテランの先生です。 その方が亡くなられる前の危篤の時にも駆けつけました。他にも学園に関わり亡くなられた方々がいます。 こうした方々の法要を10年ごとに、名古屋市東区の建中寺で行っています。

本学園は現在3代目です。現在でも実際の創設者は、お袋だと思っています。昭和18年に亡くなって以来、 名古屋市・八事霊園へ毎月お参りをしています。これは私の義務だと思っています。 この母を顕彰するものとして、菊武学園では卒業式に優秀な学生・生徒に菊子賞を授与しています。 本当は全員に手渡したいという気持ちで一杯です。お袋の遺志を受け継ぎ、この学園が盛り上がり良くなるよう、頑張っていきたいと思っています。

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